『朗読』で『ダンス』の表現力を磨く
もっと美しく踊りたい!
もっと上手になりたい!
お客様に喜んでいただける舞台を作りたい!
ずっと心に残って、エネルギーとなる作品にしたい!
30年以上踊ってきていて、向上心は燃えるばかりです。
より表現力に磨きをかけるために、私が学んでいるのは『朗読』。
『ダンス』をするのに、なぜ『朗読』が役立つか
朗読では、言葉の一つ一つの持つイメージをふくらませ、それによって体の内側を変えて、表現します。
ダンスをするときも、曲や歌詞からのイメージをふくらませ、体の内側を変えて、表現します。
例えば「悲しい」という言葉を声に出すとします。
悲しそうな顔をして、この言葉を発したとしても、胸を切なさで詰まらせていなければ、ちっとも悲しみが伝わりません。
同様に、悲しみを言葉のないダンスで表現する場合も、体が悲しい体になっていなければ、それは伝わりません。
「うれしい!」もそう。
喜びに体が弾んで、犬がしっぽをちぎれんばかりにふるように、体を変化させて表現する必要があるのです。
このように体の内側を変えるためには、まずは体の内側が柔らかくなくてはなりません。
だからこそ、表現の基礎は体ほぐしにあるのです。
『歌は語るように、語りは歌うように』
この言葉は朗読を教えてくださるボディートーク協会会長の増田明先生が良く仰る言葉です。
朗読が歌だったら、どこに山をもってきて、どのように始まり、どのように終わるか・・・。
バイオリニストの先生から学ぶと、朗読が美しい音楽になります。
そして音への感性が磨かれます。
先日学んだ工藤直子さんの詩『ふゆのひ』。
よかったら一緒に声に出してみてください。
ふゆのひ
おちばせいいち
なんという しずかさ
みあげると えだのあいだから
みずのような ひかりが
こぼれてくる
もりは ねむるものたちの
かすかな ねいきに みちている
くまよ あたたかくしているかい
りすよ たべものは たりるかい
かえる ねぼけて とびだすなよ
ああ ほんとうに
あかるくて しずかだ
・・・・
おや
むこうのきのかげで
てんとうむしが
いっぴき
ねがえりをうった
どうして『しずけさ』でなくて『しずかさ』としたのでしょう?
くまよ、りすよ、とあるのに、かえるに”よ”がついていないのはなぜ?
くまとりすとかえるを高中低で変化をつけて読むには、どのようにしたらいいと思いますか?
『こぼれてくる』としているが『こぼれている』としたときと、どんな違いが生まれるか?
様々な質問の答えを考え、気にもしていなかった事を発見し、どんどん詩が立体になっていく過程がなんともおもしろくてたまりません。
音楽的になった詩は、初めて読んだ詩とは、比べ物にならないほど味わい深くなっていきます。
表現の幅を広げる
私の悩みは、声が単調なこと。
朗読には、色んな登場人物がでてきますが、幅広い声を出すのは至難の業です。
子どもや女性の声はなんとか出せても、年取った人、男の声となるととても難しいです。
そして、息が長く続かない事。
一息で和歌を発声すると酸欠になってしまって、最後は声が出なくなってしまいます。
どうしたらいいのだろう・・・?
その悩みを解決するヒントを教えていただきました。
先日のレッスンでは、いつもやっている『ほっこりさん』の一部を丁寧に教えていただきました。
体を空洞にして、声を落とすこと。
そのためには体がほぐれていなくては、声は落ちていかないこと。
あ~、ここでもやはり基本は体がほぐれていることです。
バレエと一緒です。
どこかがほぐれていないと、全身の流れが悪く、スムーズな動きができません。
声もそうなんですね。
「先生の声をもっと聞いていたい…。」
なんて言われて、少しは癒しの声になってきたかと思っていたけど、とんでもない!
まだまだ道は遠い!
体ほぐしもせっせとしているつもりだけど、声を使ってもっと隅々までほぐせるようにならなくては!
ダンスもそうです。
男のように勇ましく踊れたり、コミカルな表現ができたり、瀕死の白鳥になれたり・・・。
もっともっと自由に表現できるようになりたい!
コロナのため、オンラインレッスンになって、ほぼ個人レッスンのような状態で指導していただけるので、本当に勉強になります。
この学びの時間がたまらなく楽しいです。
今年はさらに学びの時間を増やして、表現力を磨いて、、皆様にお見せする舞台を作っていきたいです。